夢、かろうじて繋がる。
去る5月14日(日)に、仙台国際ハーフマラソンに出場してきました。
すでに速報に対して、沢山の方々からのメッセージをいただいています。
本当にありがとうございます。
がんばったかいがあったもんです。
正直、今回は本当に辛くって、本当にがんばりました。
今、東京へ向かう機内でこの完走記をしたためております。
追って、コメントにはご返答申し上げますので、今しばらくお待ちください。
それでは少しさかのぼって、物語をはじめようと思います。
3月12日(日) 京都シティハーフマラソン。
僕の2006年最初の大会の予定でした。
2006年の上半期最大の目標は、札幌国際ハーフマラソンへ出場すること。
昨年、ヌデレバや野口、千葉ちゃん、そして佐倉ACの岩本がみごと2位に輝いたあのレースです。(『札幌国際ハーフマラソン』)
あの高橋尚子も札幌国際ハーフをステップにして、シドニーで金メダルを手にしています。
僕は昨年、小出道場ランニングモニター3期生として、この札幌国際ハーフで佐倉ACのコーチ陣と初対面したのでした。
選手の引率で忙しい中、阿部コーチ、滝田コーチにはまるで身内のように接していただき、震えるほど感動したことを昨日のように思い出します。
ゴール後の競技場内にも導いていただき、ゴール直後の岩本、千葉両選手と記念撮影させていただきました。
ガンちゃん、チバちゃんありがとう!!
でも、そのとき強く感じたのは感動だけではなかったのです。
どうして俺はここで見てるんだ?
でも当時の僕のハーフ持ちタイムは1時間23分そこそこで、しかも下りコースの美瑛でのもの。
1時間18分以内の公認記録という札幌国際ハーフの参加資格は、
どうしたって手が届くものではなかったのです。
いつか、札幌国際ハーフに出場したい。
そのとき強く意識し始めたのでした。
2005年の12月に青島太平洋マラソンにてサブ3を達成したあと、その思いは日増しに強く、鮮明なものになっていきました。
年末には、今年の目標としてはっきりと明言(『2006年の予定』
)するに至っています。
しかし、本州ではまさにシーズンまっさかりでも、雪に閉ざされた北海道の地においては、大会そのものがありません。
雪融けを待っていたのでは間に合わないのです。
2006年6月7日が札幌国際ハーフの申し込み締め切り。
公認記録を得るためには、「公認大会、公認コース、陸連登記登録者の部、公式審判員」という4つの条件を満たしていなければなりません。
締め切り日までに札幌近辺で適当なレースは存在しないのです。
(豊平川ラン&ウォークもダメです)
そこで京都シティハーフとなったのです。
雪道もスノーターサーで走りこみ、満を持して迎えるはずでした。
おりしも、FMあっぷるというラジオ局のランナー向け番組「アスリートの風」へ出演(『アスリートの風初出演』
)させていただき、札幌国際ハーフへの挑戦についてとりあげてもいただきました。
ところが、そのラジオ出演の時すでに、僕の左足首はこぶし大に酷く腫れ上がり、歩くことすら困難を極めていました。
1月に横浜出張時に痛めたあと、騙し騙しトレーニングを続けて、悪化させてしまったのです。
足首を反ると、戻ってくるときに腱がひっかかりギシギシ言いました。
腱鞘炎です。
結局、京都は参加を見合わせました。(『京都シティハーフ回避』
)
患部にステロイド注射を打つとか、直前までかなり悩みました。(『京都断念か!?』
)
しかし、ここで無理をしてその後のシーズンをふいにしてもしょうがないと考え、欠場を決断したのです。
脚を治すため、3週間の完全休養。
ひたすら筋トレを続ける日々でした。
今年に入ってから、筋トレの頻度と速度を上げています。
昨年は週2回目安だったのを、今年に入ってからは1日おきにしています。
体幹の強化を意識し、脚上げ、腹筋、背筋、腕立ての4種を30回ずつ3セット。
これを各部位1分以内で実施し、1セットにつき1分のインターバル。
15分以内に3セットを終えるようにしています。
この筋トレの成果が、後になってここまで僕を支えてくれるとは、この時点ではまだわかっていませんでした。
休養明けて、恐る恐るランニングを再開。
4月29日のみどりさわやかマラソン10kmにエントリーし、勝負感をとりもどすことにしました。
しかし、昨年の練習日誌と比較すれば、自分の置かれた状況が痛いほどわかります。
3週間の完全休養によって、僕の走力は昨年の10月時点まで戻ってしまっていました。
冬場の練習はまったく無かったことになっていたのです。
気持ちとは裏腹に、脚がついてきません。
特に心肺機能の低下は著しく、呼吸がついてこないのです。
もっと休養時のトレーニングに気をつけるべきだったのかもしれませんが、腱鞘炎という故障の部位を考えると、自転車をこぐことも、
水泳でバタ足をすることもできませんでした。
ユウトパパと初の対決となったみどりさわやかマラソン10km。
年代別で4位入賞を果たしましたが、結果はぜんぜん納得のいくものではありませんでした。
昨年末、初入賞を果たした札幌さよならマラソン(クォーター)のときの10km通過タイムのほうが、明らかに速いのですから。
僕の走力は11月末時点までにも戻っていない。
昨年末のおきなわマラソンから好調をキープし続けているユウトパパには、10kmで2分も水をあけられました。
正直、かなり凹みました。
しかも僕はレース途中で負けを認めていた。
折り返し点で、僕の心も完全に折れていたんです。
ふがいなさに歯軋りしました。
筋トレしながら、辛い瞬間にユウトパパの本名を叫びました。(罵声は浴びせてませんよ(^^;)
現時点での力の差は認めざるを得ないけれど、このまま離されっぱなしでいいのか?
うかうかしてると、中標津のおやぢさんも僕の背中を窺っています。
ライバルたちのプレッシャーに集中力が高まり、5月に入ってから調子が目に見えて上がってきました。
5月3日には3’20設定で1,000mのインターバルを8本実施、難なくこなすことができました。
これは、昨年度にはできなかったこと。
直前の12日には最終刺激3kmタイムトライアルで10'03(登りコース)。
そしてそのとき、白石サイクリングロードで話しかけられた女性に、気づかされた(『逆ナン!?』
)のです。
走る楽しさ、その魅力を。
やはり同日、出発を前にしてnaviさんと遭遇ランの際に、微妙な胸のうちを吐露しました。
正直なところ、届くか届かないかわからない。
でも、仙台は楽しんで走ろう。
今までやれることはやってきたじゃないかと考えることができたのです。
いよいよ、前日。
金曜日の夜、出張先の東京から札幌に戻り、土曜日の午前中に仙台に移動。
超割を買ってしまっているのでヤムヲエナイ強行軍で、仙台に前日入りしました。
空路、楽走412旭川のとしちんさん、かおちゅうさんと一緒でした。
全国どこの大会に出ても、なぜか知り合いがそこにいる。
とても心強いことです。
朝飯も食わずにいたので千歳で飯を食べようかとも思ったのですが、仙台についてから土地のものを食べようと考え、我慢しました。
ところが仙台についてみると、下見バスの集合時刻まであまり時間がありません。
受付会場の江陽グランドホテルにつくや、そそくさと下見バスに乗り込むのでした。
下見バスに乗ると、ニッポンランナーズの高橋さん、ichanさんがいました。
仙台はあいにくの雨模様。
天気予報では大会当日も雨とか。
晴れ男ichanさんの神通力に頼るしかありません。
やっぱできれば降らないで欲しいですから。
下見は2時間程度かけてコースを周りましたが、この下見でわかったのは、後半の坂はやっぱり目に見えて坂だということだけでした。。。
これでも今までのコースに比べたら坂が減ったそうですが。
その後、仙台市内に住む友人の家に食事に招かれ、昔話に花が咲き、帰宅したのは22:00頃。
食事はそのときの1回きり、前日のメニュー40分ジョグと流し3本も消化できず、就寝しました。
寝る前にランシャツにゼッケンをつけたのですが、前と後ろのゼッケン両方ともにトルソータグがついてるんですよね。
なんか地味に感動してしまいました。
寝る前にお通じアリ。
天気はどうやら前倒しで、明日の朝には雨も残っていないとのこと。
天気予報ってアテにならないですねぇ。
大会当日、6:30に起床。
水を一杯飲んでから、歯を磨いて、シャワーを浴び、朝食をとりました。
ホテルの無料朝食から、しじみの味噌汁、明太子・ツナ・コンブのおにぎり各1個、サラダとフルーツを。
ちょっとおにぎり1個余計だったかも(うぷ)と思いつつ、部屋に戻り、トイレに座ること10分。
どうやら今朝は出ないようです(^^;
まぁ変則的だけど、昨夜寝る前に出ているからいいかということで、8:10過ぎにホテルをチェックアウト。
ホテルは仙台駅東口側なので、仙石線のホームに近くて便利でした。
仙石線にて宮城野原駅まで2駅、歩いても2km程度ですが電車で行きました。
会場の宮城陸上競技場にはすでにランナーが集い始めていました。
入り口を入って、トラックに出る前の室内の練習路で当日点呼。
その脇にみんな荷物を置いて陣取っているようでした。
会場でもとしちんさん、かおちゅうさん、ichanさん、高橋さんらと一緒になりました。
勝手がわからずキョロキョロする僕。
周りのランナーすべてが自分より速く見えます。
スタート1時間前くらいからトラックでアップが開始され、僕もいつもどおり6周程度ジョグってからストレッチ。
その後100mを3本ほど流して、心拍数を上げておきました。
着替えを済ませ、荷物をまとめて待機状態。
仙台国際ハーフは、10:05にまず女子がスタート。
その5分後の10:10に男子がスタートします。
僕らは女子のスタートを脇で見ていられるのですが、これがスタート直前の様子です(笑)
右脇にポツンといるピンクのグランドコートが福士加代子で、人だかりの中心にいるのはヌデレバですね。
まるで触るとご利益があるかのような扱いでしたが、スタート前だというのに、笑顔で全員ときちんと握手するヌデレバは素晴らしい!
同い年のはずですが、さすが貫禄を感じました。
女子のスタートを見送っていると、あっという間に5分なんて経ちます。
女子は100人いませんが、男子は500人近くいるので、それなりに混雑します。
スタート前の最終点呼のマットは小さく、なかなか人が前に流れません。
そうこうするうちに30秒前の合図。
小走りでスタート地点に並び、がやがやしているうちに気がついたらBANG!!
「おいおい(苦笑)」という声が漏れるほど、あっけないスタートでした。
緊張してる暇など無し。
これはこれで良かったですけどね。

最初の5kmを18'18で通過。
4~5mの向かい風にやられ、思うようにペースが掴めません。
15km以降の上り坂にやられることは目に見えていたので、前半抑えて力を溜めるのか、前半気持ちよく行って貯金を貯めるのか。
抑えて力を溜めたところで、どうしたって後半の坂でペースが落ちることは間違いないので、無理しない程度に前半飛ばし、
後半は気合で粘りきる作戦で臨んだのです。
でも、おもったより貯金ができない。
5kmのLAPを18'20計算だと、ハーフは1:17'21で、後半の落ち込みを考えればかなりキワドイ。
5km地点ですでに展開が見えてしまいました。
暗雲立ち込める先行きです。
沿道で応援してくれる仙台市民の人たちは途切れることが無く、ところどころで野球少年などが声をそろえて応援してくれました。
あまり余裕が無かったけど、出来る限り笑顔で声援に応じ、一度だけ拳を突き上げて応えました。
応援は本当に力になります。
うれしい応援をもらうと、なぜか少しペースアップしてしまう。

10km地点を36'42で通過、LAPは18'24
10km地点までは若干上って、下っています。
気持ちはあげていってるのに、LAPは落ちてます。
かなりヤバイことに、この時点で18'20ペースに対して2秒借金背負ってます。
ちょっと気持ち入れ替えて、次のくだりで少し稼がねばと意識しました。
集団の後ろにつけば、風が少しは遮れて楽な気がします。
でも、いつまでもついていってはマズいんです、あげてかないと。
かといって前に出ると、モロに風に煽られます。
急いで前の人に追いつきたい気持ちを抑えて、脚を使わずにじわじわと行かないといけません。
前を一人ずつ拾っては、少し風除けにさせてもらって、また前に出て。
じれったいけど、この繰り返し。
前の人のゼッケンを心の中で繰り返して、集中力が途切れないようにしました。
そのせいで、覚えているゼッケン番号がいくつか(笑)

15km地点を55'05で通過、LAPは18'23
さらに借金増えて5秒。
この5kmって下ってる気がしたんですけど、ぜんぜんLAPが伸びてません。
よく見たら思ったより下ってないし。
マジでやばいです。
そしてここから恐怖の登りが始まっちゃいました・・・
もう呼吸もなりふり構わずです。
耳元では、悪魔がささやき始めました。
「もういいよ、次でいいじゃんか、自己ベストで十分だよ、やめちゃえよ」
(次でいいわけないじゃんか!そうやってまた悪夢に苛まれるのはゴメンだよ)
「20分切れたら、それだけで十分だよ。それでもよくやったって言ってくれるって」
(人にほめてもらいたくて走ってるのかよ?自分自身がそれで納得できるっていうの?)
道マラのあとの悪夢の日々。
自分は本当にサブ3に届かなかったのか、そればかりを自分に問い続けた3ヶ月間。
同じことを今度もやるのはゴメンでした。
悪魔のささやきに耐えながら、呼吸を荒げて坂を登っていきます。
もうひじから先は痺れて感覚がなくなってきました。
意識も少々薄れ掛けてきてます。
残り6km、5km、4km・・・
残りの距離だけを考えて、前の人の背中だけを追い、一人捕らえては、また前に出る。
一瞬たりともその人の背中で休んではいけないんです。
前を拾えるということは、その人は僕よりもペースが落ちているということ。
その人についていったら、楽なんです。
でも、目の前の楽を拾って、1年も苦しみ続けるのは嫌です。
ただでさえ上り坂でペースが落ちているはず。
一瞬たりとも気が抜けません。

20km地点を1:13'58で通過、LAPは18'53
ついに残り1.1kmですが、この時点であと4分しか残されていませんでした。
今までずっと、3'40/kmくらいのペースで来てます。
そのペースだと100mは22秒、4分02秒です。
このくらいの計算はできました。
でも坂でペースは落ちてます。
つまり、今のまま走っていたらギリギリダメ?
ゴール前の定禅寺通に入るまで、気が遠くなるほど遠かった。
ここまでの20kmより、最後の1.1kmの方が長くて辛かったと思うほどに。
定禅寺通りに右折する前の地点で、沿道から「もう上りは終わりだよ」と声がかかる。
ここからゴールまでは短いけど下り。
でも、ついに僕の膝から下まで痺れてきて、すでに感覚無し。
両手両足の感覚を奪われ、顎も上がり、フォームはバラバラ。
腰だけが走っているような、そんな状態に僕は天を仰ぎつぶやきました。
ランニングの神様、もし見ていてくれるなら、お願いです、あとわずか僕の足を動かし続けてください。
その神様は白いヒラヒラした衣をまとっていましたが、下はステテコで、満面の笑顔に赤ら顔でしたが(笑)
もう手元の時計を見るのも怖かった。
時計を見ただけであきらめてしまいそうで。
とにかくひたすら前へ前へ。
後ろから追ってくる足音も迫ってくる。
前を走っている人が視界から切れたら、それは最後の左折。
左折してすぐそこにゴールが待っているはず。
ゴール地点には友人夫妻が待っていてくれるはず。
この友人宅を大会前夜に訪ねた時、僕が禁煙したことに影響され禁煙し、そして走っている姿を知って、
自分も走ることに興味を持っていると告げられました。
走るって事がどんなに楽しいか、努力を積み重ね、それが花開いたときどんなに気持ちいいか。
僕が目の前で見せてあげられなくてどうするんですか!!
ゴメン、ダメだったじゃ済まないんですよ。
かっこわるいじゃないですか(笑)
遠くでゼッケンをつけた人が左折していくのが見えました。
あぁ、やっと終われるんだ。
左折すると目の前にはゴールゲート、そしてその脇に電光掲示板。
僕の目に飛び込んできた掲示板の数字は、1:17’53
まにあう(涙)
ゴールの瞬間、右手で思いっきりガッツポーズ。
そしてきっと、大声で叫んだはずです。
「やったぁぁぁぁ!!!!」と。
ゴールタイム、1:17'57、札幌国際ハーフの参加資格1時間18分以内。
残り3秒、まさに激走、劇走!!
自己計測ではなんと、1:17'59でした。
ま、ガッツポーズの分だけ遅れたんでしょう。
今日のコンディションとこのコースでは、誰もが1~2分遅れの結果となるだろうと、ある方が評されていました。
事実、福士ですら11分半、ヌデレバが12分という結果です。
そのコースで、自己ベスト(1:21'57)を実に4分ちょうど縮めることが出来ました。
75分と公言していましたが、あれはユウトパパの手前もあってのブラフみたいなもんで(^^;;;
正直なところ、平坦なコースで好コンディションであったとしても75分切れる実力はまだないです。
でも、諦めない、折れない、粘りきってのこの結果には大変満足しています。
すごい辛かった。
32年生きてきて一番辛かった。
こんなに辛い思い、二度としたくないです。
今までハーフが一番楽だと思ってたのに。
だから明日からまた練習です。
もう札幌国際ハーフへの道のりはスタートしたのですから。
札幌への帰路の途中、仙台空港のラウンジで待ち合わせの折に、両親から電話をもらいました。
父はさっそく7月9日に休んで応援これるように、今から調整してくれるそうです。
母からは最高の母の日のプレゼントだと言って貰えました。
僕がこうして元気に走っていられるのも、両親のおかげです。
せめて思いっきり楽しく走ることが、五体満足健康に生んでくれたことへの感謝の気持ちです。


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