2005年の北海道マラソンが初フルだった僕にとって、今回が10回目のフルマラソンでした。
- 2005 北海道マラソン
- 2005 青島太平洋マラソン
- 2006 北海道マラソン
- 2006 ニューヨークシティマラソン
- 2007 東京マラソン
- 2007 北海道マラソン
- 2007 北京国際マラソン
- 2008 別府大分毎日マラソン
- 2008 北海道マラソン
- 2009 別府大分毎日マラソン
本来ならこの記念すべき節目の大会を、福岡国際マラソンで迎えるはずでした。
2008年の初め、千葉マリンで1時間15分を切って手にした福岡Bグループの切符。
その後、本番の別大でも2時間40分35秒で走り、福岡Bグループの座を確固たるものにしていました。
当然、翌年の目標は2時間30分を切ることになってきます。
別大後のひと月を完全休養にあて、体をリフレッシュし、年間の練習計画を立てました。
リディアード式を基本に、小出監督メニュー、そして僕のアレンジを加えた練習メニュー。
2時間30分を切るために絶対に必要なもの。
それは、5kmのラップを17分台で余裕を持って走れること、つまり5,000mで15分台。
春から再び、長期の東京出張が続き、昨年同様、東京で過ごす毎日となりました。
日体大長距離競技会などトラックの競技会に積極的に参加し、スピードを磨きに磨きました。
慣れないトラックレースへの参戦は、非常に神経をすり減らすものでした。
申請の方法すらわからず、まったくの手探り。
そんな僕に付き合って、タムケンが毎回必ず一緒に日体大に行ってくれました。
僕らは市民ランナーとしてはそこそこ早くても、高校生、大学生に混じれば全然遅いほうです。
トラックレースで先頭に周回遅れにされる屈辱がわかりますか?
タムケンはそれでも絶対にめげることなく、僕に付き合ってくれた。
ただひたすら、強くなりたい、速くなりたいという熱い思いに溢れていました。
彼の気持ちに応えるために僕のできることは、突っ走る僕の背中を見せることでした。
そうして磨かれた5,000mのスピードは、いまや高校時代の自分をも遥かに凌駕するものとなっていたのでした。
当然それに相応して、ハーフマラソンの記録も伸びます。
3回目の参加となる札幌国際ハーフマラソン。
今年こそは、最後の坂を元気に駆け上がり、ベストバウトとしたい思いがありました。
札幌国際ハーフ参加資格を手にした、仙台国際ハーフマラソンでの充実感は、今までのどのレースよりも熱く、鮮明に記憶しています。
今年の札幌では、積極的に16分台で突っ込み、1時間13分台をたたき出しました。
長年ライバル視していたユウトパパに、初めて先着したレースとなりました。
レース後、やはりライバルである福岡のこうくん、河口湖の住人さんらと宴を催し、びわ湖、福岡への熱い思いをいつまでも語り合いました。
同じ夢を目指し、毎日孤独に走り続ける全国各地の強敵(ライバル)たち。
数ヶ月に一度、大会で交わるこの一瞬が、今や何にもまして僕の最高の喜びです。
今年は今までと違い、沢山のレースに積極的にエントリーしました。
フルは北海道と福岡の2本だけに決めていたので、モチベーションを維持するためにも必要なことでした。
どのレースに出ても大崩れすることなく好走し、ベストを次々と塗り替えるなど、想像以上にリディアードのヒルトレーニング、有酸素ランニングの威力は絶大でした。
マラソンを始めて4年。
俺、福岡で30分切っちゃうんじゃないか?
何をやっても、どこを走ってもベストを記録する、そんな楽しい日々。
しかし、調子がいいということは、なまじ走れてしまうだけに、体への負荷も大きいということ。
11月中旬、福岡を目前にして、体の異変は訪れました。
突然の蕁麻疹、そして熱発。
さらには、胃腸炎による下痢、嘔吐の連続。
全身の抵抗力が落ちきった体に、なす術はありませんでした。
親戚の結婚式のために札幌に戻り、久々に会った妻に開口一番「肌に張りがない」と言われました。
最後の名古屋で、スタートラインについたQちゃんを見たときのようだとも。
そんな状態で全力で福岡を走ることに、周りが猛烈に反対をしてくれました。
多くの仲間たちが、ジョグノートや、直メールを通じて、僕の体を気遣ってくれました。
自分でも諦めるしかないと、納得せざるを得ない状態でした。
おりしも仕事も忙しくなり、現実から逃避するように、走ることを考えない日々が続きました。
福岡に対する思い、決意が強かっただけに、それでよかったのかもしれません。
そうじゃなければ、本当に落ち込んでしまったかもしれなかったから。
少しずつ体も回復し、何とか走れるようになってきた頃、ももさんとかつゆみさんが誘ってくれた玉上倶楽部。
玉川上水沿いを、ゆるゆるハイキング気分で走ろうって。
あれがどんなに僕の心を救ってくれたことか。
やっと前向きになれた僕は、この後、別府大分毎日マラソンにエントリーしたのです。
去年、katsuさん、オザワさん、パッキーさんの4人で走ったあの別大。
来年は福岡でと誓い合ったのに、全員がそろうことは適いませんでした。
でも、そんなことにめげている場合ではありません。
あのときの僕らのような気持ちで、別大を目指している他の仲間たちの姿があります。
水曜師匠、ネオスさん、じれっタイガーさん、hiddieさん、ハヤミン、タムケン・・・
もう一度初心に戻り、明日につながるレースをしよう。
原点となるあの別大で、去年の自分より強くなった自分を再確認してこよう。
ヨーイチさんは、今年1年めまぐるしい努力を重ね、目ざましい飛躍を遂げていました。
一関ハーフで福岡Bグループの資格を取り、福岡を走って迎えた別大。
去年は怪我で走れなかったヨーイチさんにとって、格別な思いがあったことでしょう。
それぞれに、それぞれの一年のドラマがあります。
僕が語るのはあまりに野暮なので避けますが、katsuさん、オザワさんにもそれぞれのドラマがありました。 あれから1年。
去年より強い風、しかし快晴、気温10℃前後。
風以外は最高のコンディションの中、ついに、別大のスタートを告げる号砲が鳴り響きました。
ゼッケン297番の僕は、大外から3人目の位置。
ゆったりと競技場をまわり、最初の1kmを3'40前後で通過。
心拍数はMAXの85%を指していたので、これをひとつの目安として、維持することに努めました。
最初の5kmは18'23、ほぼ3'40/kmペースではまりました。
これで、今日の僕のレースペースは決まりです。
このペースで30kmまで我慢。
僕は最初からレースペースを決めることをしません。
今年の練習内容を決める際にリディアード式を参考にしましたが、もっとも大切なのは練習者本人の体感です。
自分が十分だと思えば、それが十分な練習であると。
設定スピードや本数、リカバリの時間、距離などはあくまでも目安でしか、いや下手したら目安ですらないかもしれないです。
もちろん、自分に甘くてはなしえませんし、言うほど簡単に自分の体の内なる声は聞こえてきません。
でも、今年一年の成果をぶつけるのが今回の目的。
自分が一年やってきたことを信じるのみです。
次の5kmは体が動いたので17'43、特にきつかったわけでもなく、追ったわけでもなく、流れの中で出たタイムなので、ラップはまったく無視です。
数字は気にせず、体感を重視し、それを裏付けるために心拍数を参考にしました。
10km以降、別大国道にさしかかってくると、海からの向かい風がモロに感じられるようになりました。
12kmあたりで、I嵐コーチ、かきたまうどんさん、ななぶうさんの応援。
まだまだ元気な僕でしたが、軽く手を上げる程度のあっさりとしたリアクションで、淡々と走り去りました。
去年も応援に来てくれた2人、特に40km地点でかきたまさんがかけてくれた「40分切り行けるよ!」の言葉は忘れられません。
僕はあの後まさかの失速で、2時間40分を切ることができなかったから。
スタート前に今年の応援プランを聞いたとき、今年は40km地点ではかずきくんの応援に間に合わないから、と言われました。
これは裏を返せば、間に合ってしまった時には僕に異変があったということ。
応援へのリアクションに使うエネルギーすら、とっておきたい、そんな思いでした。
そう、僕は今回、集団に付くことをしませんでした。
僕の今回のラップはかなりばらついてます。
前半、コースの上り下り、向かい風の有無などによって、コンディションは大分違ってくる。
これにいちいち対応して数字を作ってたら、もっともっとぼろぼろになってたでしょうね。
でも、最後までこれで持つのかは、はっきり言って確信持ててませんでした。
中間点を1時間18分ほどで通過。
正直、かなりきつく感じていました。
今までのレースを振り返ると、失敗の境目は中間点で大体わかっていました。
こりゃいけるぞ or もうダメだ
今回は限りなく後者に近かった。
風は去年より強いし、年末に一回体調を崩している僕は、決して万全とは言えない。
それだけの練習を直近では、積み重ねることができていませんでした。
歩きたい、止めたい。
冗談じゃないですよ、僕だってそう思います。
いや、ずっとそう思ってましたよ。
もっと言います。
今回は、本当に走るのがイヤでした。
スタート前日まで、いや、当日の出かける直前まで、僕は妻に電話で愚痴ってました。
「イヤだよ~、出たくないよ~、止めていい?」
聞いてみてください。
僕の名誉のために、オフレコにしてくれていただけです。
結果が出るのが怖いんです。
1年かけてきた思い。
積み上げてきた練習。
それらが音を立てて崩れた11月、福岡直前。
負のイメージ、残りまくりで迎えた別大ですもの。
25kmを過ぎ、折り返し点。
去年は追い風をキックに一気にスパート気分だったところですが、僕の足は既にかなり重い状態。
無理やり動かしているような感じでした。
でも我慢、我慢。
僕が一年かけて積み上げてきたものの一部は、あの時崩れてしまったかもしれないけれど、僕が積み上げてきたものは、はたしてそんなに低く脆いものだったのだろうか?
まだまだ沢山残っているはずじゃないのか?
そんな強気がまだ少し、僕の中に残っていました。
だから30kmまで我慢しよう。
I嵐コーチ、かきたまうどんさん、ななぶうの応援に反応する力も残ってない。
辛そうな顔してたんだろうなぁ・・・
ダメかもって思われたかも。
でも心の中では、絶対に負けないって、強さを持って走ってた。
途中まであんなに弱気だったのに、どうして?
それはやっぱり、応援があったからだと思う。
ひとりだったら、初めての棄権を選択していたかもしれない。
現地での応援だけじゃない、ジョグノートで、メールで、実際に会って沢山の応援をもらっていた。
きっと、今走っているこの瞬間だって、テレビの向こうで応援してくれている仲間たちが何人もいる。
去年一緒に走ったパッキーさん、去年現地で応援してくれた三津さん、ももさん、今年は別大には来てないけど、応援の気持ちは届けてくれていた。
沿道にいる別府、大分の方たちも、僕の名前を呼んで応援してくれる。
僕はその応援に応えるために、この1年、辛い思いをして脚を、そして精神を作ってきたんじゃないのか?
気持ちだけじゃ走れない。
でも、このときの僕には、走りきるだけの実力も残っていた。
それに背を向けて、弱気な自分に負けて、実力も出し切れずに終わるところだった。
35km地点、まだ我慢我慢。
40km地点、まだまだ我慢我慢我慢。
心拍数はMAXの95%を指していた。
ハーフ自己ベストのときですら、ここまで心拍数は上がってない(驚)
どれだけ我慢していたかを裏付ける数値でしょ?
41km地点、舞鶴橋の上、去年ユウトパパに抜かれた場所。
僕はまだ、3'40/kmのペースを守っていた。
左に曲がり、あと1kmの文字が道路にある。
すぐそこには大分市営陸上競技場のスポットライトが目に入る。
大分川沿いに容赦なく吹き付ける向かい風。
それに負けないくらい強い気持ちで、僕はラストスパートした。
去年はこのわずか1kmが、2kmにも3kmにも感じた。
去年8'53かかったこの場所を、今年は8'13で走り抜けた。
競技場に入り、サングラスをはずすと、2時間35分の数字が目に飛び込む。
30km以降、時計なんて見てなかった。
ラップと心拍数しか確認してない。
我慢するので精一杯で、タイムなんか見て計算したくなかった。
もう、最近のレースこんなんばっかり(笑)
必死で追うも、両足は既に聴牌状態。
小さな痙攣を繰り返す脚を、無理やり押さえ込みながらスパートを重ね、ゴール!
2時間36分はまわってしまったけど、充実した気持ちがあふれてきた。
程なくしてゴールしてくる仲間たちを迎えながら、気がつくと競技場の中は、握手しあう人、泣きじゃくる人、倒れこむ人、笑顔がほとばしっている人で溢れていった。
去年も感じた空気が、そこに流れていた。
その場にいた人だけがわかる匂い。(サロメチールじゃないよ)
来年のこの場所に、どれだけ新しい仲間を迎えることができるだろう。
ね、水曜師匠、ネオスさん、じれっタイガーさん、hiddieさん、ハヤミン、タムケン。
誰もが憧れ、そしてより上を目指して通る登竜門。
来年も僕はこの場所で、さらに強くなった自分を確認するために、より沢山の仲間たちとともにゴールを目指すことでしょう。
そして来年は、別府八湯温泉道にも、何人か引き込む予定(笑)
Dist 2009 別府大分 2008 別府大分 差
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05km 0:18'23 (18'23) / 0:19'05 (19'05) 0'42
10km 0:36'16 (17'43) / 0:38'02 (18'57) 1'14
15km 0:54'56 (18'40) / 0:56'56 (18'54) 0'14
20km 1:13'56 (19'00) / 1:15'59 (19'03) 0'03
half 1:18'02 / 1:20'18 2'16
25km 1:32'42 (18'46) / 1:35'13 (19'14) 0'28
30km 1:50'36 (17'54) / 1:53'22 (18'09) 0'15
35km 2:09'15 (18'39) / 2:12'19 (18'47) 0'08
40km 2:27'56 (18'41) / 2:31'42 (19'23) 0'42
Goal 2:36'09 (08'13) / 2:40'35 (08'53) 0'40
小出監督。
2005年4月1日に僕のチャレンジは始まりました。
あれから4年。
僕は10回のフルマラソンを走り、40回以上の大会に参加しました。
そして、日本中に、世界各地に、こんなにも沢山のラン友ができました。
あのときの、自分の言葉を引用させてもらいます。
僕のような人間でも、やれば出来るんだ。
明確な目標を持って、強い意志でそれをやり遂げること。
努力すれば、必ず夢は叶うとは言いませんが、努力しなければ叶うわけがありません。
僕は努力してきたのだろうか。
それを自問自答する必要が無いことを、嬉しく思います。
だって、皆さんがそれを知っているから。
僕の喜びを共有し、自分のことのように喜んでくれているみなさん。
ありがとうございます。
みなさんが喜んでくれるおかげで、僕の喜びは何十倍にも何百倍にもなりました。
喜びと夢の連鎖。
僕は再び、次の夢に向かって走り出しました。
今は日本中で、世界中で、この連鎖が広まっています!!




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